メイドロボ子の事を考える |
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| ま、別にメイドロボでなくロボット一般のことでもいいんですが、エロゲー過渡期世代としてはロボ子→マルチ&セリオがデフォなので。ま、マトモに東鳩1はプレイしてないのですが。 (注:PC98時代→古典 PC98~WIN95→過渡期 WIN95~WIN98→新時代の幕開け WIN98~WINXP→近現代 ということではどうでしょう?)
でですね、結局ロボットに心はあるのか?または獲得することはできるのか?、と。 永井均の本で
(貼り付け始め) (神の実在についての話があった後に、その例えとして) 「人間そっくりにふるまうロボットに心があるのかどうかという問いは、われわれがそのロボットに対してどういう態度をとるかということと独立には決まらないのと同じ事なのである。 ほんとうは心があるかないかのどちらかなのに、われわれの能力が足りなくてどちらだかわからないのではないのだ。そういう「ほんとう」そのものが、われわれの態度によって構成されるのである。 神の存在とて同様であろう。どれほど神的な存在が顕現して数々の奇跡引き起こしても、そいつを神と信じないことはどこまでもできる。神が存在する事もしないことも、人間の態度を離れた客観的事実ではありえないのだ。」 永井均『これがニーチェだ』44頁 (貼り付け終わり)
という記述があって、ずっと心にひっかっかっていたのよ。 なんかお釈迦様の「苦しみも悲しみも怒りも楽しさも全部自分の内にある。お前がそう感じればそれはあるんだし、感じなければそんなものは無いんだ。」ってのに似てるね。 要は独我論のお話なんです。(話はズレるが昔世にも奇妙な物語で見た『ロンドンは作られていない』って面白いよね) で、ロボ子ちゃんに関する話は哲学的ゾンビそのもののお話なわけです。
ワシは最初、何千何万という差し手を考えて次の一手を決定するようなプログラムと、ワシら人間の思考の違いは何だろう?と考えてみたわけです。 ワシらが何か迷って次の行動を考える時にうまくいきそうな案や要素を集めてきて、これなら成功確率は高いだろう、というようなことをすると思うんですが、ただ単にコンピューターは考える無駄が多いだけで結局は同じなんじゃなかろうか、と思ったわけです。 これはさっきの哲学的ゾンビの中の一つ「行動的ゾンビ」です。 独我論大好きなワシとしては相手がロボ子で、相手が行動的ゾンビで、プログラムされたルーチンでもってワシに対応して、ワシが恋して胸がキューンとなったり手酷く振られて怒りに打ち震え悲しみに暮れたとしても、完璧にワシを騙してくれる(というと言い方が悪いけど、心があると完全に信じさせてくれる、全くの疑問の余地なく、気づかないようにさせてくれる)なら全然OKなワケです。 ワシは彼女のなかに人格を認めて、そのように思って接することが出来たんだから。(でも後からそのロボ子ちゃんが、誰にでも決まった行動を取れば決まった行動を返してくる、フォーマットされたらワシのことなんか忘れてしまう、というようなことを知ったら絶望してしまうけど。その辺も考えたようなプログラムを一つ・・・無理か。) 要は、独我論者のワシとしては、ワシ以外の人間がゾンビだろうと意識を持った人間であろうと、ワシの前に現れて、(ワシが人間てのはこーゆー振る舞いをするもんだ、と許容出来る)普通の振る舞いをしてくれれば、後はどうでもいいのだ、と思っているということなんです。どこまで許容出来るんだ?といわれれば、突然宇宙からの電波を受信して宇宙語をしゃべり出したり、恋人のロボ子が深夜にナイフを口にくわえて窓からワシを殺しに侵入してくる、とかでも許容出来ます。怖いけど。
でもやっぱり哲学的ゾンビは現象的意識が無いから、前衛的な芸術家が「これはホニャララです」って聞いたこともない名前の、見た事もないような「感覚を物体化しました」的な物体をドンと出してきた時に判断を下す事もできないんだよな・・・人間だったら「なんだこりゃ?ワケワカラン」と思っても、慣れて受け入れたり、その感覚がわかる奴が後追いしていって発展させて、様式みたいな物が生まれるんだろうけど。
人間の主観的な意識ってどうだったら成立するんでしょうなぁ・・・ つか、自分の考えたことがそのまま載ってるならまだしも、その思考の先までウィキペディアに載ってるんだからこんな記事は意味がないよなぁ・・・
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3月24日(月)16:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | 無題 | 管理
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マテ茶うまい |
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| ゲバラが「マテ茶の味は忘れられない」といってるのを聞いて、茶葉を手に入れて飲んでみたのですが、これがなかなか。 グリーンの奴とローストした奴があるんだけど、今回味わったのはローストの方。 ティーバックに移して水筒に熱湯を注いですこししてから飲んだんだけど、これがファーストインプレッションは「ニガッ」だった。 ワシはコーヒーとか苦いから大嫌いなんだけど、これも同じか、と。 そう思って一旦落胆したんだけど、でもまぁつくっちまったし捨てるのも勿体なかろう、と諦め気味に敗戦処理気味に残りを飲んだのですが、期待せずに飲んでじっくり味わってみると、確かに苦いんだけども、ジンワリと苦みを感じさせた後にスッと苦みが引いて後に残らないの。 ワシが(ブラック)コーヒーが嫌いなのは、最初の苦みの後にずっと嫌らしい苦みが残って、(豆の種類によるけど)さらには後に残って酸っぱさが感じられたり、なんだか納豆の風味に似たものが感じられたりで大抵気分がが悪くなるから。
で、このマテ茶はジンワリサッパリなもんだから、とても具合が良い。 南米では「飲むサラダ」とまで言われるくらいにビタミンやミネラルが豊富なので、偏った食事が大好きなワシには最適なのかもしれん。
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3月24日(月)14:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | 無題 | 管理
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感動した |
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| 昨日の深夜に偶然NHKアーカイブスの放送を見たのだが、物凄い良い内容で思わず引き込まれた。 内容は名画の修復で、武智光春という爺さんがマジックで落書きされた与謝蕪村の蘇鉄図を復活させる、という内容だった。(途中からしか見てないので、その前にも何かやってたんだろうと思う。)
うがった見方をすれば「マジックだけ溶かす溶剤スゲー」とか「三日間もハンドルをぐるぐる回す息子&弟子おつかれ」(丸めてガラスの筒に入れた名画と溶剤を、筒ごと回さなければいけない)なのだが、爺さんの技量もハンパねぇ。破れた紙をくっつけるために紙の端をナナメに切り取ったり。
表具師って単に絵の回りの部分を作ったり整えたりするだけの仕事だと思ってたけど、こりゃすげぇ。
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3月24日(月)11:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | 無題 | 管理
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