('A`)無気力人間T氏のさわやか日記
 
~大学は卒業したどこかに就職した~生きるのめんどくさい~
 


2008年3月10日を表示

昔のセックスを考える

今日はオバアが車で20分ほど離れた美容院に行くので、そいつの送り迎えをしたり、買い物をしにいったり、と2、3時間ごとに出動しなければならない、という一番面倒な感じの具合だった。
眠いのだが、細切れに眠ってもさらに辛くなるので、本を読んでいた。『キリスト教は邪教です』というニーチェの『アンチキリスト』を現代語訳した奴だ。特に目新しい内容はなかったが(当然だ)、非常にわかりやすい。

ワシはニーチェのキリスト教批判を読んでから、昔の、ギリシア時代や古代ローマのセックスというのはどんなものだったろうか、と考えて(きっと素晴らしいものに違いない)と思って密かにワクワクしているのですが。
高校のときに『闇の世界への招待状』という本にギリシア(だか古代ローマだかは忘れましたが)の食器の写真が掲載されていまして、それが女性が張り子(バイブ)を持ってるとか、男とセックスしてるとか、そんな絵なんです。今だったら考えられないですよ。それくらいに性が開けっぴろげだなんて。

初夏の爽やかな空気の中で日の出と共に目覚め、他人の目を気にすることなく、オレンヂの朝日を浴びながらウヒョーと叫んで全裸で高原を走り回りたいとか、馬がパカアカあるいて牛がモーモームシャムシャと草を喰ってる近く、農場とかのどまんなかで全裸でセックスやオナニーをしたらどんなに爽快だろう、と思う。これはただ単に僕が変態露出趣味を丸出しにしてるワケじゃない(というか、他人の目は前提にしていない)と思うのですが、どうでしょうか。

オナニーをしはじめた時は、終わった後に死にたくなったモノですが、あの罪悪感みたいなものもキリスト教的な価値観が影響していたのでしょうか。


後、移籍などから発見される豊穣な大地、ふくよかな女性像のイメージも面白い。
『狼と香辛料』の中に、ロレンスがホロに自分の男性遍歴を匂わされて嫉妬して、自分の心が黒い独占欲に満ちていることを自覚するシーンがある。資源の獲得とか経済的なことと、キリスト教的な性の卑属化と共に、こーゆー感情も一夫一婦制の元になっただろうか、とも(何の確証もないけど)思う。
女性が自由に誰とでも生殖活動するのは現代ではビッチ扱いされているが、ま、そーゆ社会体制なんだから仕方ないよね。「寝取られもの」で嫉妬心とか寂しさとかで余計にチンコが勃ってしまうのは、それらを原動力にしてさらなる生殖を促しているのでは・・・ないかと・・・思い・・・ます・・・(ただの思いつきだから自信がない)



3月10日(月)04:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | 無題 | 管理


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