('A`)無気力人間T氏のさわやか日記
 
~大学は卒業したどこかに就職した~生きるのめんどくさい~
 


2015年8月を表示

青、緑、黄色だった

今日TED2を見てきた。のっけから精子まみれになったり草を吸ったりオチンポ叫んだりだったりで面白かったのだが、どうにも濃紺スーツの人の着こなしが気になる。

先日、同じ職場の同僚女性が九月に予定している披露宴の招待状を受け取り、暇なので参加しようと思ったのだが(あ、そういえば冠婚葬祭に着ていける礼服は今より+30kgだった時のやつだからブカブカ過ぎるし、ちゃんとしたダークスーツって持ってないなぁ)と思い、必要に迫られて購入を決意するという建前で、己のちょっといいスーツをオーダーしてみたいという密やかな欲望を満たしていた事を、ふと思い出したからである。

土手町の某洋服店の男性店員のアドバイスを聞きながら自分好みにオーダーした濃紺のスーツが、もうすぐ卸されるのだ。
その事が脳裏に巡ったのは、作中最初の裁判の時に相手方の嫌な弁護士が濃紺スーツだったからである。

昨夜、既にネットで紺のスーツに合うネクタイの色を調べていた。(Google画像検索とかで)感触としては圧倒的に青系、黄色赤色が次点、緑系は少ないけど嫌いじゃない、というような感じだった。(あと、披露宴のような場所で合わせる銀系)
果たして、TED2の中では、青系、緑、黄色だった。(間違ってたらゴメン)

実は昨夜、既に紺地にホワイトドットの素敵な奴を注文している。
ネクタイピンも買った。

画像検索すると多分皆さんもほぼ同じものを目にすると思うが、明るい色の緑のネクタイて意外に紺のスーツに似合う気がする。モデルの外人がいいからそのように見えるのだろうか。
緑のネクタイといえば、浪岡のアップルヒルには津軽塗柄のネクタイが販売されており、なかなか出来が良い。あの緑色が欲しいのだが5000円はちょっと高い気がしてまだ購入には至らず。


テッドが(マジだりー)という態度を表面化させる度に何故か昇進させた変なオーナーが好きだったが、今回は登場一箇所のみで残念。



8月30日(日)00:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | 携帯から | 管理

トランプおじさん

http://u1sokuhou.ldblog.jp/archives/50467049.html

ワシはトランプおじさんの考えてる理想は(日本人の感性による違和感を抜いたら)常識的で大体正しいと思うが、やり方が過激なので、優秀な補佐がトランプさんの方向性を活かしつつ、ソフトで真綿で首を占めていくやり方をアドバイスできないと戦争になると思う。



8月28日(金)19:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | 携帯から | 管理

名品のデットストックを手に入れた

盆中に電話番として出社。
10時くらいにブランチでカップ蕎麦を食べた。
ので、昼休みにずっと行きたいと思っていた青森市内の酒のなかむらへ。
酒のなかむらはサンロード青森一階のタバコ屋と並んで、青森市でパイプタバコやマニアックなタバコをゲットできる2大巨頭らしい。
で、海外通販では手に入らないRolandのアフターダーク、ビフォーダーク、New桃山、アクロポリスシャグ、家の在庫の100g缶を開けたくないのでオーリックゴールデンスライス、そして棚の片隅に一個だけあったビュテラ・ペリカンを購入。ひゃっほう!

ペリカンは品薄すぎて、勿体無くて開けられないなぁ



8月14日(金)18:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | 携帯から | 管理

このアイス美味しい

このオハヨーのアイススムージーシリーズが美味しい。
写真はキウイだが、パインもあった。アイスクリームの中に小さい氷がザシザシ入っていて、ふんわりしてるのに氷の感触が心地良い。味もスッキリ。



8月10日(月)21:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | 携帯から | 管理

下ネタという概念が存在しない退屈な世界

今季視聴しているアニメのなかで、『下ネタという概念が存在しない退屈な世界』が本当に下らない。

下らなさ過ぎて本当に好き。
EDの華城先輩の妙な振付けも好き。

華城綾女が決めポーズの時イチイチ指を多分こんなんにしてるんではないかという感じで健全マークで隠されたりとか、早乙女先輩の小動物ぶりとか生徒会長の痴女狂いっぷりとか最高。



8月9日(日)07:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | 無題 | 管理

岩畔 豪雄(いわくろ ひでお

岩畔 豪雄(いわくろ ひでお、1897年10月10日 - 1970年11月22日)面白すぎる。
中野学校を作っただけじゃなかったんだ!!


"広島県安芸郡倉橋島(現・呉市)出身"
"成績は優等ではなかったが1922年(大正11年)に山県有朋が死に、長州出身者が陸軍大学校試験の面接段階で全員落とされるという時の勢いに助けられ陸大入学"

"1937年(昭和12年)、「諜報、謀略の科学化」という意見書を参謀本部に提出。日本陸軍は情報に対する関心を著しく強くし、初めて秘密戦業務推進が命ぜられた"


"同年、兵務課内に陸軍省・参謀本部内でさえ、存在を秘匿されたといわれる地下機関「秘匿名警務連絡班」を創設。班長秋草俊とし秘匿名を「山」と称しCIAのような機関を目標とした"

"陸軍中野学校
1938年(昭和13年)には秋草俊、福本亀治と共に日本初のスパイ学校、後方勤務要員養成所(のちの陸軍中野学校)を設立。ここでは尾行、変装術、錠前の開錠術、柔術などスパイ養成のための講義と並び、岡正雄を招いて民族政策の講義なども行われた。同年3月、陸軍省の中枢・軍務局軍事課へ異動、高級課員に補任され国防国策の設定業務を管掌主導。軍事課は省内でも、官制上の統制課ともいわれ、特殊な地位を持っており、金の問題でも物の問題でも、軍関係のことは、ここを通さないと何一つ処理できない程の力を持っていた"

"偽札製造は中国の経済攪乱を目的とする、それまでとは比べ物にならない精巧な法幣(中国紙幣)偽造工作であったが、岩畔はこの計画を発頭。秘匿名を「杉工作」と称し、山本憲蔵主計少佐を登戸研究所に配属し工作に専任させ、実施面の責任者に阪田誠盛を起用し上海に杉機関(阪田機関)を設置した。製造については、凸版印刷と巴川製紙の社長を兼ねていた井上源之丞の全面協力があったという。山本少佐は「岩畔大佐は、その風貌のしめすごとく、豪気果断であるばかりでなく、俊敏しかも柔軟性のある、いわば軍人ばなれのした逸材として、すでにその上下をとわず衆望を集めていた」と評している。偽札計画は推進され、中国の秘密結社・青幇との密接な協力関係をとりつけるなどで、偽札は実際に印刷し大量に投入もされた。約45億元を製造し、軍事物資の調達などで約30億元が使用されたといわれる。当時の1元はほぼ1円で、1945年の日本の国家予算が約200億であったことから、これほど大量に実際に偽札が使用された事例はなく、登戸研究所を舞台とした偽札印刷は、世界大戦中における最大規模の経済謀略であったとされる。しかしこれは思わぬ結末を迎えた。大きな転機となったのは1941年12月、日本軍による香港攻略である。これにより重慶側の紙幣印刷工場を鹵獲し、工場の"ほんもの"の紙幣ならびに機材を押収した。このため用紙もインキも印刷機械も全て"ほんもの"を使い"、ほんもの"の紙幣を製作。"ほんもの"を大量に投入することになった。"

"駐日大使も務めたライシャワーと若泉が談笑している時、ライシャワーがふと述べた「このたびアメリカは小笠原を返還しますが、だからといって沖縄まで返せと言われたのでは困りますよ」という趣旨の発言を、若泉敬が岩畔に報告したところ、岩畔は「それはライシャワーさんが謎をかけているんだよ。今すぐ、沖縄返還を要求しろというメッセージだ」と、その足で若泉を旧知の自民党議員椎名悦三郎(元幹事長)のところに連れて行き、「この男に返還交渉をやらせてくれ」と述べたという話が伝わっている。"



8月7日(金)19:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | 個人的メモ(殆どコピペ) | 管理


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