('A`)無気力人間T氏のさわやか日記
 
~大学は卒業したどこかに就職した~生きるのめんどくさい~
 
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2007年5月10日を表示

コメントを読んで考える その2

ここで考え方を変えてみる。死ぬということは負けだろうか?よく哲学ぶった物語のキャラクターが「死は光」とか「死は救い」みたいな事いうが、そんな考えが根底にある人の場合はどのような行動原理でもって人生を過ごすのだろうか?きっと、プロセスを考慮しない生き方であれば、結局なにをしても虚しいだろう。絶対に勝ちが確定してる試合で、必死に走り回る選手がいないように。

そのように考えると、「死後があり、死んだ後に生前の行いで左右される」という古今東西の宗教は「社会を形作る」という視点で非常良く出来てると思う。(世の中に「必死に走り回る選手」がいないと社会が崩壊しちゃうから)

・・・あれ?こんな結論でいいのか?
どうにも違うような気がする。

もっと考え方を変えてみる。
「死」についての絶対的な価値判断をしないと、どうなるだろうか。うん、そもそも、良い悪いなんかあるんだろうか。「近所でも評判の嫌われ者のジジイが死んだ。良かった良かった」というのは良い死とは判定出来ない。他人の評価は(今論じてる事については)どうでもいい。
自分が死ぬ際に「あぁ、今死んでも何の悔いもない」と思えたら(親族や他人がいくら悲しんでも)それは「良い死」だろう。
自分以外の評価は関係ない。

あぁ、そうだ。ここまで書いてきてやっと納得する結論が得られた。「今死んでも全然OK!悔いはない」と思える為になら僕は真剣に生きられる・・・気がする。

なんつーか、いっつもいっつもウジウジ考えて、結局はアリキタリな結論に達してしまう気がする。でもやっぱり、自分であっちこっちウロウロして考えた結論ならそれはそれで仕方ない。今日は考えてまとめながらこの記事を書いたので5時間もかかったよ。ポンコツな脳味噌ですのぅ・・・

追記
しかしながら、「あぁ、今死んでも良い!」と人生の途中で思ってしまった場合、その後の人生はまた投げ遣りになってしまうのだろうか?また、「あぁ、このまま死んだら悔いが残る」と臨終の際に思ったらどうするんだろうか?(どうするもなにも、化けて出るくらいしか出来ないが)
それはその時に考えればいいか。
さっきは自分で勝手に納得してしまったが、どうもこの考え方も問題を先送りしてるだけのような気がする。・・・あれ?どうなんだろ。これでいいのかな・・・?
まだしばらくウジウジしそうです・・・



5月10日(木)03:31 | コメント(0) | 無題 | 管理

コメントを読んで考える

長くなったので、こちらに新しい記事として書きます。

「こごと」に関して、何と返信したものか・・とだいぶ悩みました。
適当に「ハイガンバリマス」と書けば何の問題もないのですが、前々から悶々と考えていることと重なってしまったので、そのことを書きます。(別にコメントしてくださった方個人への返信ではなく、僕の考えを書いてるだけなので、コメントしてくださった方の文章にも直接に対応してませんし、攻撃してるわけでもありません。)

ご指摘のとおり、僕は自分の存在意義なんか見えてません。
また、人生に対する真剣さも足りないと思います。
社会一般の建前的にはそれは余り宜しくない事だということもわかっています。
(ついでに言えば、僕は自分自身のことも大して信じていません)
もしも、友達や親兄弟や親族が悲しまない、という前提があるなら今すぐ消えてしまってもかまわない、とすら思っています。

そもそも、何で真剣に、一生懸命に生きなければならないか?という事を良く考えます。(資本主義社会がそのように要請して、そのような教育を昔から受けてきたから、というのも回答にはなりえると思うのですが、社会全体ではなく、僕個人の問題として答えが欲しいのでソレは無しで。)

例えば、仕事なり、趣味なりで目標が設定されたとき(もしくは自分で設定したとき)、僕も取り敢えずはそれに邁進すると思います。しかしそれも一過性のもので、後から考えてみると「なーんで俺はあんなに一生懸命だったのかなぁ・・・」と、(意識の中で)いつでも捨てれるものになってしまいます。目標を設定する、見つけるという事に虚無感を覚えてしまうようになってしまったのです。(細かい考え方の揺れは省きますけども)そうなると、なんでこんなにやる気がでないんだろ?となり、結局は、あの、人類最大の悩みでありながら大上段で言われるといかにも恥ずかしい、「何のために生きてるのか」という事に考えが及ぶのであります。

戯れにGoogleで「生きる目的」と検索してみてください。15万件を超えるようなhitがあると思います。多くの方(おそらく、鬱病の人がメインだとは思うのだが)が同じ様に考えているのか、沢山のそれに関するお答えを目にすることが出来ると思います。
(宗教関係を除けば)結局は「生きるために生きる」とか「自分の幸せ(生きがい)の為に生きる」、「目的を探して生きる」というような事に収束していると思います。

それらの答えを否定する事はしないけど、僕にはそれでは納得できない。簡単に言えば「だって、人って最後には結局死んじゃうじゃん。」という事である。
前に少し書いた事があるんだが結果が変わらないなら、そのプロセス(心中でおもってる事とか)がどうであれ、それは同じことなのではないか、と思う。
「どーせ死ぬんだから好きな事やれよ」といわれても「どーせ死ぬんなら好きなことやらなくても同じはないですか?」と心の中で毒づいて(一応、波風が立たないように口には出さない)しまう位に性格が悪いのですが、それは結局プロセスに重きを置くか置かないかの問題になる。
絶対に負けが確定してる試合で、必死に走り回る選手がいるだろうか?



5月10日(木)03:30 | コメント(0) | 無題 | 管理


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