コメントを読んで考える その2 |
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| ここで考え方を変えてみる。死ぬということは負けだろうか?よく哲学ぶった物語のキャラクターが「死は光」とか「死は救い」みたいな事いうが、そんな考えが根底にある人の場合はどのような行動原理でもって人生を過ごすのだろうか?きっと、プロセスを考慮しない生き方であれば、結局なにをしても虚しいだろう。絶対に勝ちが確定してる試合で、必死に走り回る選手がいないように。
そのように考えると、「死後があり、死んだ後に生前の行いで左右される」という古今東西の宗教は「社会を形作る」という視点で非常良く出来てると思う。(世の中に「必死に走り回る選手」がいないと社会が崩壊しちゃうから)
・・・あれ?こんな結論でいいのか? どうにも違うような気がする。
もっと考え方を変えてみる。 「死」についての絶対的な価値判断をしないと、どうなるだろうか。うん、そもそも、良い悪いなんかあるんだろうか。「近所でも評判の嫌われ者のジジイが死んだ。良かった良かった」というのは良い死とは判定出来ない。他人の評価は(今論じてる事については)どうでもいい。 自分が死ぬ際に「あぁ、今死んでも何の悔いもない」と思えたら(親族や他人がいくら悲しんでも)それは「良い死」だろう。 自分以外の評価は関係ない。
あぁ、そうだ。ここまで書いてきてやっと納得する結論が得られた。「今死んでも全然OK!悔いはない」と思える為になら僕は真剣に生きられる・・・気がする。
なんつーか、いっつもいっつもウジウジ考えて、結局はアリキタリな結論に達してしまう気がする。でもやっぱり、自分であっちこっちウロウロして考えた結論ならそれはそれで仕方ない。今日は考えてまとめながらこの記事を書いたので5時間もかかったよ。ポンコツな脳味噌ですのぅ・・・
追記 しかしながら、「あぁ、今死んでも良い!」と人生の途中で思ってしまった場合、その後の人生はまた投げ遣りになってしまうのだろうか?また、「あぁ、このまま死んだら悔いが残る」と臨終の際に思ったらどうするんだろうか?(どうするもなにも、化けて出るくらいしか出来ないが) それはその時に考えればいいか。 さっきは自分で勝手に納得してしまったが、どうもこの考え方も問題を先送りしてるだけのような気がする。・・・あれ?どうなんだろ。これでいいのかな・・・? まだしばらくウジウジしそうです・・・
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5月10日(木)03:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | 無題 | 管理
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