('A`)無気力人間T氏のさわやか日記
 
~大学は卒業したどこかに就職した~生きるのめんどくさい~
 


2008年9月4日を表示

その他に読んだ本

「うるさい日本の私」中島義道
おもしろい。音に抗議する作者の変人ぷりが光りすぎているのでそっちばっか注目されるが、「公認されないマイノリティの気持の行き場の無さ」とか「他人に優しさを期待するための優しさのグロテスクさ」「なんでイジメで自殺した子供は長々とした遺書を残すのか」とかも非常に「あぁ・・・」となる。

「怪しいアジアの暗黒食生活」クーロン黒沢
最初から最後までゲテモノづくし。この本をキッチンガイズファクトリー社長のbambooが読んでいたら中国でのバック生産で煮え湯を飲まされる事もなかったろうに・・・。アジア的大らかさに溢れたえげつない内容。
ちなみに一番最初に載っている食い物は犬だ!台湾のオッサンに連れられなんの事情もしらない白人新婚夫婦とともに小汚い屋台で犬鍋を喰う話。オッサン以外の三人はドン引き。オッサンの「ほら、喰えよ。フーフー。こりゃすげえ効くなぁ。なんで食べないのよ。フーフー。こんなに効くのに。ガフガフ」という一文がリアリティありまくりデス。

「はなまる幼稚園4巻」勇人
柊ちゃんがー!
カワイイからー!

「涼宮ハルヒちゃんの憂鬱」ぷよ
あんまり面白くない。絵はカワイイのだが、あんまり面白くない。長門さんはいいキャラになってるのだが、あんまり・・・・・・・立ち読みして自分にあうか確かめてからの購入をおすすめする。

「いいんちょ。」
めがねー
オデコー
しっかりしてるー
という委員長が六人もでてきて萌える。
変態の生徒会長もっと頑張れ!俺達に変わってセクハラしまくれ!

あー、あとインスタントストアにエロマンガを少し追加。
あと永井均の「西田幾多郎 <絶対無とはなにか>」も読んだけどこれは長くなるのでまた今度。



9月4日(木)18:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | 無題 | 管理

日記

ここ一週間ばかり気分が沈みがちで、どうにも宜しくない。
岸田秀の『ものぐさ精神分析』を読む。
日本人は開国させられた事によって内的自己(「俺が本当に望んでいるのはこうじゃない」という気持。)と外的自己(外の状況に対する屈従)を作り出してしまい、精神分裂状態にある、という『日本近代を精神分析する』という章から始まって、『国家論』だとか『エロスの発達』だとか『自己嫌悪の効用』、『セルフイメージの構造』とか、どれもこれも世間一般とは違う視点で切り込んでいるのでとても面白い。
特に『セルフイメージの構造』が好きだ。
ニーチェの道徳論の時もそうだったが、ワシは「自分がそういう『思い』を抱く理由を、当人がそう思っているのと関わりなく、実は違う理由でそのような『思い』を抱いているのだ」というのに物凄い引きつけられる。例えばニーチェであれば、ある人が、世間一般で認められるような道徳行為をして「私は道徳的な人間だ」と思ったとしても、その道徳的行為は利己心(みんなに認められたい)や奴隷根性なんかから行われたかもしれず、そうであったとしたらその動機自体はなんら道徳的でもなんでもない、って奴。岸田秀は端的に「ある不当な欲望を正当化する必要がある時、そのためにつくりあげられるのは、それと正反対のセルフイメージである」と書いちゃってるが。

ただ、現代社会は功利主義マンセーなので行動がそうであればそれで良い、ということになってる。
ワシは数年前から「人が何かを思ったり願ったり何かに憧れたりするには何か意味だとか力があるんだろうか」と漠然と思っていたのだが(何かをやるためのモチベーションになるだろう、と思われるやもしれませんが、それとは別に「それ自体として」どうか、ということを考えてるのです。)
平たく言えば、何か行動を起こさない限り、精神的な部分は意味がないのか?という事です。脳や体の働きが科学だとか物理だとかによって解明されて、リラダンの『未来のイヴ』で語られるような「我々の神々も我々の希望も、もはや科学的にしか考えられなくなってしまった以上、どうして我々の恋愛もまた同じく科学的に考えてはならぬでしょうか」という、すべてがなにか公理とか公式によって(自分の気がつかない内に)決められるんなら、なんかもうどうでも良いような気がしてたんです。みんなロボトミーしちゃって('q`) アウアウアーになっちゃえば楽じゃない。(仏教だと大前提が「『私』などというものは無い」なので、そんな事には捕らわれないんだけども)

で、『擬人論の復権』の章では、そうじゃないんだと。
体に欠陥が無くても精神疾患はあるんだと。
で、その精神疾患の原因は物事に対する「意味」であると。(作中の例を挙げれば、飯を食うとゲロっちまう男がいる。全部調べたけど、消化器なんかには一切疾患はない。さて、困った、となった時にその母親に注目すると、小さい時から「飯を食わせてやってるのだから文句を言わず何でも言う事を聞け」的な態度をとっている事が判明した。面白いのは、世間一般にはその母親は良い母親であり、息子自身も自分の母親ほど献身的で良い母親はいない、と思っている。で、その息子に「たぶんアンタがゲロっちまう原因はアンタの母親がこんな感じで子育てをしたからですよ」と気づかせてやるとエロり癖が消えた・・・そうな。ウソか本当かシラネーけど。・・・でもさ、なんか違う本で読んだフロイトのトラウマの話だと、それ自体が真の原因じゃなくても「それが原因だよ」と意味不明なものから「原因」をわかりやすいものに移してやる事でトラウマを克服させる、という内容だったような・・・後者の説が正しいとしたら岸田秀理論は崩れ・・・ねぇのか?あれ?・・・あー、意味づけが重要なんだから崩れはしないのか・・・)
でですね、もう自分で書いていて先が見えないしどういうオチを付けてこの文章を締めくくったらいいか見当もつかないのですけども、取りあえず、精神そのものの基礎があるのかも良くわからず、身体的な基礎で全部説明が付くかと言われればそれも違うっぽいけども、その働きだけはあるっぽい、というなんだか良くわからない事態に。

ところで、昨今の一般の大人が理解出来ない事件に関してマスコミによってアニメや漫画やサバイバルナイフが取沙汰され、犯人が育った環境や親の人格まで事細かに調べられ、それに責任をなすりつけて、最終的に心の中では「俺には理解できん」と思ったりして、まぁそれで良い事にしてるのが大多数だと思うのですが・・・これもやっぱ犯人がそれぞれの物事にした「意味づけ」なんだ、と70年代に喝破しちゃってた岸田秀はすげぇなぁ。



9月4日(木)17:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 無題 | 管理


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