連れて行かれた |
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永六輔、大橋巨泉のどっちが先に死んだかわからんが、こりゃどっちか先に死んだほうがお迎えに来たのでは… 死期の近い人は、親しかった故人が迎えに来る夢を頻繁に見るという。 母方の爺さんは最期は軽くボケていたらしいが、伯母さんに「死んだ○○(既に亡くなっている妻)が毎朝枕元を歩き回る。お迎えに来てる」と何度も何度も訴えていたそうな。 あと、なんか本でも読んだな。 霊魂があろうが無かろうが、科学的にどんなメカニズムかは知らないが、最期は自分の人生に納得して死にたいものだ。 と、この前まで思っていたが、別にワシが納得しようが納得しまいが、死は必ず訪れて、それで終わりになる。他の人から見たら、ただの人の死であり、家族からしたら家族の死であり、ワシの心中どうであろうとあまり関係がない。 この問題の核心は、ワシがワシの死に対してどのような価値判断を下すか?という事に尽きる。 「死んだらそこで終わり」派のワシとしては、どのような価値判断を下したとしても、そのすぐ後に死んで終わりになってしまうのだから、価値判断を下す必要すらないのではないだろうか? どうしてもワシの心中には、生きるの面倒くさい感もいうか、厭世感があるので、(お、やっと死ねるのか)くらい軽い感じで死を迎えたい。
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7月21日(木)20:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | 携帯から | 管理
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