今日考えたこと |
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| 空気を読むことについて
横井さんが伊集院の造語「中二病」についてツイートして少し話題になったが、ワシも少し前から会社の色んな人を見ていて、その事を考えていた。
今はなんとなく、空気を読む奴が画一的で、右倣えで良くない、みたいな風潮に走りガチだが、ヨリケリだと思う。
例えば、何かワシが詳しいことがあって、何か確信があった時は、どこの誰がイニシアチブをとって言論統制を敷いたとしても、ワシは喋るよ。主張する。(そーゆー場面でカッコイイ感じで目立つのはみんな憧れるとおもう。)
で、良くわかんないこと、興味のないことに関しては全く一般的意見からは離れづらい。 スンゲー初歩の質問をしてしまったり、生半可な知識で頓珍漢な事を言ってしまったり、という事を恐れる。「問題」が起こるのを避けるためだ。
・・・アレッ?右倣えの空気読む風潮の原因は「問題」を起こすことのリスクが高すぎるからじゃないの?そこを変えないといくらzeebraがけしかけても、真に受けて爆死する人が増えるだけだ。
別に、空気読まないのが悪いわけではない。 ただ、それをするには高いリスクをねじ伏せる知識やノウハウや素晴らしい思いつきが必要なの。そーゆー裏付けさえあれば全然やってもいいと思う。それがない奴が、天然か単なる反骨心のみでやると「なんだあいつ?」てな事になる。
そうだ、最早、(問題なく話を先に進める事が最重要に求められる)日本社会おいてナチュラルに「空気を読まない」事はもう出来無い。さんざん頭を使って「空気読んでませんよ」風を装うしか途がないのだ。全くナチュラルに天然な奴が、ナチュラルに思いついた事をただ喋って、それが核心や的を射る確率は結構低いと思う。
だから仕事以外は、とんでもねーしょうがないことも、そのまま喋って「あいつアホだな」と思われてもそれでいいんじゃないの?
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2月20日(月)21:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | 無題 | 管理
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