('A`)無気力人間T氏のさわやか日記
 
~大学は卒業したどこかに就職した~生きるのめんどくさい~
 


2011年11月13日を表示

それは君のものじゃない

私の異常な結婚生活 または私は如何にして家族の秘密を守るために妻をあざむくようになったか

こちらを読んでフト思った。
自裁しようとする(または既に自裁してしまった)人に対して、「生きたくても生きれない人がいるのに」ウンヌンカンヌン説教垂れるような言説は昔からあって、某感動大作エロゲ(プレイしたことは無い)でも「今おまえが生きてる今日は、誰かが生きたくても生きることのできなかった明日なんだ」みたいなウゼー台詞が出てきて、名言まとめスレッドみたいなのが好きなワシとしてはよく目にするわけですよ。

そのたびにワシはモニタ前で「だから何だよ!俺の命はお前やお前の死んだ女のものじゃねぇぞ!」と毒づいてしまうー。


同じような構造はアチコチで見ることができる。給食を残す児童に対し、担任の「食べたくても食べられないアフリカの人の話」とか始まるクラスもあるだろう。(松ちゃんの「アフリカの人も腹一杯になったら残すっちゅーねん!」には笑った)このクラスの先生は、児童の小食さとかさっき何か食べたとかの事情を加味しないで指導していてアホであると思う。

話を自殺に戻すけど、加藤諦三というテレフォン人生相談(逆切れオバサンの回はマジで酷すぎて笑えてくるのでぜひ聞いて欲しい。最後の締めの言葉も秀逸。)の文章で「死にたい、生きられないというのは、今の人間関係、今の自分が置かれている状況では生きていけない、という事だ。全く違う人間関係、状況になったらその人は生きていける。」旨の話があった。ワシは全くその通りだと思うので、人の自殺を止めるためには「命の素晴らしさ」とかを説くのではなく、その悩んでる人の状況を理解してあげて、そこから抜け出すためにはどうしたらいいのかのアイデアやアドバイスをする、みたいな面倒で泥臭い手段以外には解決法はないと思う。自殺しようとする人が命の大切さに全く気がついてないワケがないじゃん。だから死ぬかどうかを一大事項として悩んでるんだから。そこに「命は大事だよ」と原則論を再度唱える事は無意味だ。本当にどうしようもない状況の人には「すべてかなぐり捨てて逃げなさい。」位は言ってしまうべきだと思う。本当に「命」そのものが大事だと思うのなら。

では私は「命は大事」だと思っているか?人間関係や今の状況を全く加味しないで、純粋に命の尊さを信じているかといえば、信じていない。(ただ無前提に「命が大事」という人は、ただ健康でありたい、とか、ただ長生きしたい、みたいな異様な感じが似ていると思う。)
命の大事さ加減は、周りの人との関係や状況に左右されるのではないだろうか。


結論?結論なんかないよ。
お前の人生に結論とかあんのかよ?
ただ生まれて、悩んだりわかったり楽しんだり苦しんだりして生きて、自分なりの生き方や目標を見つけられたり見つけられなかったりして、死んでいくだけだよ。もっと肩の力抜けよ。

と、さっき自問自答した。



11月13日(日)13:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | 無題 | 管理


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