('A`)無気力人間T氏のさわやか日記
 
~大学は卒業したどこかに就職した~生きるのめんどくさい~
 


オバマが広島に来て、子供達にも会場に臨席させるらしいとニュースステーションで言ってた。


なんだか、ワシは心が捻じくれ曲がってしまって、「子供達に正しい教育をしよう」とか「平和を求めるように教えよう」と聞くと反吐が出るというか、限りなく胡散臭く感じてしまう。
ワシ自身の経験上、子供の頃に大人から「これが正しい事だよ」と教えられたとしても、その理由や成り立ちを骨身に染みてわからない限り、身につかないモノだと思う。
身についていない事は、何か違う価値観が入ってきた時に簡単に裏返る。easy come easy goである。
思春期になって、自分の経験や思考で以って、過去に自分が身につけてきたものを幾度となく反芻してみる事は、恐らく誰しもが経験する事ではないだろうか。その際には、今まで抱えていた価値観は多少なりとも揺らぐ。
古きを訪ねて新しきを知る、という言葉があるが、新しきを知って古きを問い直す時、その古いものが既に形骸化した理由の上に唱えられている事に失望したら本末転倒である。
オバマが広島に来る→子供達にも臨席させて平和教育をする、というニュースを見て違和感を持ったから思いつきでこの記事を書いているが、別に戦争と平和の話じゃなくてもいい。
例えば…親から何事も一旦落ち着いて物事を見てから行動に移しなさいと教えられた子供が、訳もわからないままにその様に行動し、思春期反抗期にその思想のつまらなさに辟易して、転んで傷ついてもいいから脊髄反射で何でもやってみるようになり、幾度も傷を作って、痛みを覚えて、自分の選択として「あぁ、ちゃんと見てから判断した方がいいな」と考えるようになったとする。親は最初から最適解を与えていたが、それは子供にとっては「つまらなさ」を与えただけに過ぎないのではないかと思うのです。人生の中での不要な回り道(必要な回り道は、転んで傷ついて学ぶ事ね)ではないでしょうか?もちろん、その「つまらなさ」の影には、問題なく物事を進められるスムーズさと親にとっての安心が隠れていることはわかります。でも、それって大人のエゴだと思うのです。火傷するからストーブや熱湯に触っちゃダメとか、道路に飛び出さない、というのはきちんと教えるべきだと思います。でも、もっと抽象的な、何が正しいかとか、どうすればスムーズに行くのか?とかの(現在大人が持っている)答えを教えるのは違うような気がします、



5月11日(水)23:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | 携帯から | 管理

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