急に思いついた |
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| え~、私、今まで散々「人生に意味はない」とか「すべての物には価値がない」とか「生きる事に意味はない」みたいな厭世的事柄を述べて参りましたが、どうしてそーゆー考えを持つに至ったか判ったような気がした。
今週ジャンプで絶賛連載中の『めだかボックス』を読んで。 ま、物語の内容は(是非読んで欲しいので)省きますが、そのような厭世的な考えに行き着いてしまう人は、自分を一般化しすぎてそうなってしまった気がするのですよ。 んとね、その、なんというか、もしも貴方が貴方の人生をもっともっと自分本位に、自分の興味や好奇心に密着して考えていったら「意味がない」系の考えは浮かんでこないと思うのです。「意味がない」と考えてしまうのは、自分の事をone of oneと考えないで、one of themと考えてしまうから、どうしてもそのthem部分に引っ張られて、皆が目指すべきもの(というか、正確には「皆は目指すべきものがあって、それなりに生きてるけど、俺には何もない!いや、俺だけじゃなく、みんなみんな目指す方向は違ってるじゃないか?これはどういう事だ?」と思ってしまう。)を探してしまうのではないか、と。 外に働きに出てみると、みんな結構生活でイッパいイッパいだし、そんな御大層な生きる理由なんかなくてもそれなりに生きていけるので無意味だろうが無価値だろうがどうでもいいのです。 だからその、自分が雑誌とかネットとかでみて「あ、これ面白そう」とか「やってみたい」、「出来るかな」と少しでも思ったならすぐにチャレンジしてみた方が楽しみも広がるので、まぁその気楽にやってみるのもいいのではないか、と。
といっても、自分を世界の外に置いた世の中の捉え方では「すべての物に意味があるか無いかどうかは誰にも分からない(万人に認められる絶対的価値はほぼ存在しないのではないか)」という認識はまぁそれなりに正しいと思ってますが。
というわけで『めだかボックス』でハッとしたのはコレで二回目です。(一回目は「人がルールを守るべきなのではない、ルールが人を守るべきなのだ」という名言。多分この場合の「守る」は遵守じゃなくてプロテクトの意味だと思うのですが、作中では微妙な使い方です。)
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5月26日(水)20:47 | トラックバック(1) | コメント(0) | 無題 | 管理
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