('A`)無気力人間T氏のさわやか日記
 
~大学は卒業したどこかに就職した~生きるのめんどくさい~
 


土日に考えたこと

休みの日は本を持ち込んでゆっくり風呂に入るのですが、その最中に思いついたことを二つほど。


まず『汗舐め師』ね。国家資格。
昔、吉田戦車の『伝染るんです』で、梅雨に入ったかどうかを、雨を飲んで判定する人の四コマがあったが、アレのエロ版。
11歳~18歳の女人の脇を直に舐めて妊娠できるかどうかを判定する素晴らしい職業。そんなエロマンガを心待ちにしています。


二つ目は、「どうして僕達の意識は完全に孤独であるのに、そのこと自体に寂しさを感じないのか」という事をフッと思った。(西田幾多郎や仏教的な『私などという固有のものは存在しない』という主張は忘れて)
「いやいや、寂しさなんかいっつも感じるだろ?」と云われるかも知れませんが、それは「近くに他人がいない」という事に対する寂しさであって、「我々一人一人の意識が各々一人一人のものでしかない」という事に対する寂しさではない。
上手くいうのは難しいのですが、私達は生まれてから物心ついて、「スーパーファミコンのファイナルファイトが死ぬ程欲しい」とか、「○○ちゃんと隣の席になりたい」とか色々考えるわけじゃないですか。で、その色々考えることは完全に自分一人の中のことであって、その考えた事自体に、我々の心中の中までダイレクトに語りかけてくるような存在は無いわけです。だから、何かを意識して考える、という行為を通して『自分』というものを考えるときに、我々一人一人の『自分』は完全に孤独なわけです。孤立無援。只一人。
だから、今の私の疑問は「どうして隣に人がいないことは寂しがるのに、自分の意識が完全に孤独なことを寂しがる人はいないのか」ということなんです。

思うに、孤独感とか寂しさというのは、かつてあったものが失われしまったことに対する記憶だとすれば、我々の(実は孤独な)『意識』は今まで一度たりとも他の存在を直に感じたことが無い為に、(孤独だなぁ)と思ったりすることが無い・・・から?



9月27日(日)19:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | 無題 | 管理

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