('A`)無気力人間T氏のさわやか日記
 
~大学は卒業したどこかに就職した~生きるのめんどくさい~
 


どうなんだろ・・・?

これを見て欲しい。

ナントカ賞を取ったケータイ小説の『メビウスの輪』がワシの超絶大好きな『CROSS†CHANNEL』の丸パクリじゃないか!?という内容である。

粗筋を引用する

「メビウスの輪」あらすじ
隔絶されて1日をループする世界に6人が閉じ込められます
主人公以外はループしている自覚がありません
主人公は頑張って感動的に他の5人をもとの世界に送り返します
誰もいないループする世界で一人きりになった主人公はラジオ放送を始めます
元の世界ではその放送がウワサになりだします



・・・・・・まんまじゃん・・・

・・・賞は田中ロミオが貰うべきっていうか、あんな優れたシナリオに何の賞も与えられてない事に絶望した。与えられるのはキモエロゲーヲタの賞賛の声のみ!
・・・筒井康隆とかに読ませたら絶賛してくれると思うんだがなぁ・・・

さて、ここで考える。
当然(オレは真っ黒だと思ってるけど)作者の咲かない花(23歳・男性)氏は盗作を否認している。
それが真実だったとしたらどうだろう。
かつてゆうきまさみは『ゆうきまさみの果てしない物語』で「オレだって銀○英雄伝みたいな話は考えてたんだぁ~」と酒を飲みながらクダを巻いていたが、彼の様にある程度の良識と教養のある物書きであれば
色々な作品のストーリーにアンテナを張って似た様な設定は避ける、ということも(完全ではないが)出来るだろう。それでなくても、作者が突っ走ってしまった場合、編集者が色々な確認をするのが筋だろう。
スレッドでもだれか触れているが「「ストーリー ループ 放送」でぐぐったらエロゲーがでてきた」と。

この作品のキモは「放送部」で「ラジオ放送をする」ということである。それは人とどう関わり、どのように生きていくか、人は他人を完全には理解できないし他人そのものに同化する事も出来ない、僕たちの心の孤独は深刻で、それは絶望的に思えるかもしれない。しかしながらそれでも尚他人が必要で、繋がりを求めて呼びかける。その手段としての「放送」、そして象徴としての「ラジオ」なのである。それが丸カブリして「全く別の小説です」は無理があるのではないか、と今の時点では思う。(「今の時点」というのはそのケータイ小説を粗筋でしかしらない「今の時点」という意味である。)


しかし、それでも神のイタズラで、グレアム・ベルとイライシャ・グレイの様に、全く同じ「離れて他人と話せる」仕組みが突然脳内に浮かんだ、というような事が起きた場合は?(注:うろ覚えだが、確か両者の電話は仕組みが違ったはず。しかもこの問題に関しては確かどっちかがパクった論争もあったはず)

それは、「いろは48文字は誰でも使えるんだから、日本中に『源氏物語』と同じモノを偶然書いちゃう人もいるよね」という荒唐無稽な主張な気もする。

作品のオリジナリティとは何だろうか?全体の構成?文章の書き方?やっぱりプロット?
サブマリン特許ではないが、「全然知らない」と主張してもプロットがかぶった時点で最初の作者にもなにがしかの恩恵が与えられるべきだと思うのだが・・・
(プロットを借りてさらにオリジナリティをブチ込んで別の作品に仕上げる、というのはアリだと思う。その場合は堂々と「影響を受けて創作しました」と言えばよい。)
『C†C』では元の世界に戻った仲間が、主人公の黒須太一の異世界からの放送を、悲しみと寂しさと懐かしさと、そして何よりも、深い愛情を持って耳にする場面が描かれるが、もしもワシがこのプロットを借りて小説を書くとすれば、この異世界からのラジオ放送をメインに、かつて尾崎豊の歌が初めてラジオから流れてきた時の事をリスナーが綴った『新版・失くした1/2』みたいにするんじゃないかと思った。
もしかしたら問題のケータイ小説でもその部分がキモになってるのかな、と思うのだが、、まぁ読んでみないと何ともいえんよなぁ・・・


余談だが、星界の紋章のアーヴが惑星に降りてくるところの絵(ワシの脳内に浮ぶモノ)はどうにもクラーク『幼年期の終わり』とかぶってしまう・・・

それにしてもオレ、ループネタ好きだなぁ。
『C†C』『ひとかた』『マブラヴ』・・・なんかもう一個大事なのがあった気がするが、忘れた。


追記
アップローダに上がっていた抜粋テキストを読んでみた。

話にならねぇな!!

そしてパクりを確信した。

(引用はじめ)

†歩†
「ではでは、また明日♪」

(引用終わり)

この部分は太一が仲間を一人一人(プレイヤーの涙と共に)送り返し、時間ループによる「新たな一週間の始まり」に戻る際に、悲しみと喪失感と孤独に苦しみながらも、尚『観測』をやり遂げる、何としてでも愛すべき仲間を送り還す!というような色々な感情がゴタ混ぜになりながらも猶(なお)強さを失わない太一を象徴する余りにも印象的な

「では、また来週」

の劣化パクり以外何者にも見えない。この一言はそれ程の重みを内包しているのである。決意の独白なのである。

ケータイ小説は描写が酷い、というような意見は良く聞かれるが、別にそれはそれでアリだと思う。
あまりに詳細な描写は読むのが面倒くさい。そういう(やたら細かい)部分に限って物語の本筋とは大して関係がなかったりするので、読み飛ばしたりする事もしばしばだ。
特にエロ小説でそんなことをされると愚息もションボリである。その点、体験談風ケータイ投稿エロ小説は描写が簡潔で一時期ハマっていた事があった。

CROSS†CHANNELの発売が2003年9月末だから・・・4年か。ワシは「エロゲーは一般社会の10年先を歩いてる」と思っていたが。



2月26日(木)02:05 | トラックバック(0) | コメント(2) | 無題 | 管理

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コメント

違ってたら許せ

>…なんかもう一個大事なのあった気がするが

→「ひぐらしの泣く頃に」


 by I股 | 10月3日(水)22:57

あぁ

それ・・・か?も?
ひぐらしって時間ぐるぐるループなのかな?
どっちかっていうとパラレル的な気がしないか?
圭一があり得るはずがない、他のパラレル世界の自分の記憶を関知する、みたいな感じじゃなかったすかキテレツ君?


 by paku | 10月3日(水)23:22


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