同人誌を読んでいて、大学の講義を思い出す |
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| 同人誌にはその後の鷹野さん(ひぐらし)とか、さっちん(月姫)とか、報われなかった人を題材にしてパラレルやアナザーなワールドを描いている事が多い。
(当時はほとんど興味がなかったのでうろ覚えだが)大学の講義でゼミの先生が「能」の説明をしたとき 「世阿弥はですねぇ、過去の文献から「この人の魂が救われていない、無念が残っている」というような事で、その人をチョイスして題材にして、物語の中でその人の魂を昇華、というか成仏させるというか、そんな感じで物語を作っていたんですねぇ」 というような事を言っていたような気がする。 もし私のその記憶が正しければ、(まぁ、同人誌というのはエロが8割だと思うけど)今も昔も日本人のパロディ精神というか、本歌取りみたいな事を好む部分は変わっていないんじゃないかなぁ、と思ったよ。
しかしながら、そのような2次的な物語の作者(世阿弥も含めて)が、どんな理由、自身の内面性をもって作品を生み出すのか、という点については変化しているのかも知れない。 今のように「単純に物語の結末や設定をひっくり返して楽しみつくしたい」と思ってではないと思うが、世阿弥が「本当に魂の救済を願って」物語を作ったのか、「こいつに萌えたからオレが幸せな物語を再構成するyo!」と物語を作ったのか、はたまた両者入り交じりなのかはワシにはよくわからないけども。(でも無意識にでも「設定を楽しみたい」という思いはあったのかもなぁ)
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1月7日(日)21:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | 無題 | 管理
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