('A`)無気力人間T氏のさわやか日記
 
~大学は卒業したどこかに就職した~生きるのめんどくさい~
 


2015年7月19日を表示

太い黒縁とか、お祖母ちゃんがかけてるようなダサいメガネかけてて欲しい

葛飾応為かわいい。
嫁ぎ先の旦那の絵に対してナチュラルにダメ出し、画狂老人の遺伝子を見せつけ離縁。

自宅に出戻って父親(北斎)と絵を描きまくる一生を送る。




葛飾応為
"応為の性格は、父の北斎に似る面が多く、やや慎みに欠いたという。男のような気質で任侠風を好み、また衣食の貧しさを苦にすることはなかった。絵の他にも、占いに凝ってみたり、茯苓を飲んで女仙人になることに憧れてみたり、小さな豆人形を作り売りだして小金を儲けるなどしたという。

北斎の弟子、露木為一の証言では、応為は北斎に似ていたが、ただ煙草と酒を嗜んだという。ある日北斎の描いていた絵の上に煙草の吸殻を落としたことがあり、これを大変後悔して一旦禁煙したもの、しばらくしてまた元に戻ってしまったという。

また応為にも弟子がおり、たいてい商家や武家の娘で、いわば家庭教師として訪問して絵を教えていたようである。

露木が「先生に入門して長く画を書いているが、まだうまく描けない」と嘆いていると、応為が笑って「おやじなんて子供の時から80幾つになるまで毎日描いているけれど、この前なんか腕組みしたかと思うと、猫一匹すら描けねえと、涙ながして嘆いてるんだ。何事も自分が及ばないといやになる時が上達する時なんだ」と言い、そばで聞いていた北斎も「まったくその通り、まったくその通り」と賛同したという。[2]

「応為」の画号は、北斎が娘を「オーイ、オーイ」と呼んだので、それをそのまま号とした[2]とも、逆に北斎を「オーイ、オーイ親父ドノ」と大津絵節から取って呼んだからという説[2]や、或いは北斎の号の一つ「為一」にあやかり、「為一に応ずる」の意を込めて「応為」と号したとする説もある。"



7月19日(日)15:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 無題 | 管理


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