一人相撲 |
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| 家族や友達のことを考えず、純粋に自分の死を考えた時、今はあまり感慨がわかない。死にたいでも生きたいでもなく、正直言ってどうでもいい気がしている。
なぜ急にこんな事を書き出したかというと、最近、ワシの世の中に対する気持ちが変わってしまった事を感じたからだ。死にたい死にたいと思っていた頃は、ルサンチマンというか、社会に対する不満があった。(ただ、生きたい!と思った記憶がないので、そんな気持ちの時は世の中薔薇色に感じるかどうかの実感がないので、方手落ちといえば方手落ちなのだが)
自分が世の中に対してどのような気持ちを持つかというのは、自分が自分に対してどのように思っているかと密接に関係しているんじゃないかと思う。自分が「世の中」「社会」と思っているのは、カント風に言えば、物自体の世界を自分の理性で切り取って、現象として捉えられた部分だけである。もっと噛み砕いて言えば、広い広い世の中を自分の知覚で以って自分の中に取り込んだものを「世の中」として認識している。その知覚に、自分の感情や好みや傾向が影響する。影響するどころか、かなり幅を利かせている。 ワシは親父のキチガイめいた育てられ方のせいで、自分に自身がなく、嫌いだった。(今でも別に好きじゃない) だから、自己評価が低く、ワシなんてクズだから、と半ば本気で思っていて、世の中が暗黒だった。世の中はワシの敵だった。
全てが全て、全部の場合でそうだとは言わないが、自分が自分以外の人や物、「世の中」に抱く感じは、自分の、自分に対する気持ちに強く影響されると思うのだ。
だから、世の中がどうしても嫌で嫌で仕方ない時には、自分に対する認識を変えて世の中を捉え直すか、世の中を変えるか、死ぬか、我慢し続けるか。(道は無数にあると思うけど)
多分、ニーチェの「貴方が深淵を見つめるとき、深淵もまた貴男を見つめているのだ」という言葉の深淵とは、きっと暗がりの中にいる、名探偵コナンの犯人のように真っ黒な自分自身なのではないだろうか。
訂正 「貴方が深淵を見つめるとき、深淵もまた貴方を見つめているのだ」
ワシが深淵を見る、深淵は貴男(たかお)を見る。 貴男(たかお)どっから出てきたんだよww
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1月23日(木)22:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | 携帯から | 管理
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