('A`)無気力人間T氏のさわやか日記
 
~大学は卒業したどこかに就職した~生きるのめんどくさい~
 


準児童ポルノの飛びかけ2

アウターゾンで「駄目な本は全部燃やしましょう、マンガは禁止」みたいな話があったけど、その中の主人公の大人のセリフを今でも思いだす。
「子供はあんたら大人が思ってるよりももっとずっと『大人』なんだ。あんたらも子供だったのになぜそれが分からない?」

『ひぐらし』やなんかのアニメを残酷だ、グロいと批判する人達がいるけど、どうしてその人達は仲間を思いやったり、理不尽な事に憤ったりする正義感や、ちょっとしたすれ違いの悲しさとかには一切言及しないんだろうね?キチンと作品を理解する能力、気持ちがないから、ただ自分たちの主張に都合のいい所をクローズアップして見せるんだろう。

人間が何か主張するのは、何かそうしなければならない理論があるから?残念ながら今の世の中では多くの場合がそうじゃない。大抵は何かの強烈な思いこみを補強する為に都合のいい言説や科学を引っ張ってきて、「ほら、私の意見はこんなにも正しい」ってやってるのがいっぱいある。マスコミ自体がそれをやってるんだ。狂ってる。
矛盾や科学的な検証での不備を指摘されても、誰も「うーん、もう一回考えてみます」「あーそうだね、俺が間違ってたわ」「うーん、微妙な問題だけども君の言うこともわかるわ。少し考えて妥協点を探してみようぜ」とはならない場合が多い。

性欲ってのは睡眠欲と食欲と並んで人間の三大欲求だ。
正直言って場当たり的に規制してどうなるもんでもねーんだよ。食は物質に依存してるから「明日からパンを食べないようにしましょう」っつって供給をストップしちまえば簡単だよ。でも性欲とか睡眠ってのは完全に頭の中を書き換えちまわないとどうしようもないんだよ。(少し次元の違う話だが、「明日からブルマを履いた仮想妹の事は考えないようにしましょう」って、そんな無理だよ!「考えないようにしよう」って考えた時点でもう考えてるんだよ!)
で、そんなことは急には出来ないし、すべきでもない。

最後にワシの勝手な考えを言えば、新しい可能性ってのは、人に見向きもされないところ、本筋から外れたところに注目するアウトサイダーがいて、そこからみんなに問いかけて広がりを見せるんじゃないの?だから少数派を「調和を乱す」とか「(今の社会体制から見て)良くない」って排除するような考え方はスゴイ危険だよ。

こーゆー話はまずエロや暴力の表現が最初に出てきて叩かれるけど、結局は「表現する事とはなにか、どこまで許されるのか」に行き着く。エロ&暴力がキリスト教的な価値観においてハッキリ「良くない」とされてるから最初にやり玉に挙げられることが多いからであって、それだけが問題だからじゃない。


ナチスが共産主義者を弾圧した時、共産主義者でない自分は行動しなかった。
ナチスは次に社会主義者を弾圧した。社会主義者でない自分は抗議しなかった。
ナチスは、学生やユダヤ人に弾圧の輪を広げ、最後に教会を弾圧した。
牧師の自分は立ち上がった。時すでに遅かった。
『抗議するには誰のためではない、自分のためだ』



3月14日(金)12:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | 無題 | 管理

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