('A`)無気力人間T氏のさわやか日記
 
~大学は卒業したどこかに就職した~生きるのめんどくさい~
 


2015年5月5日を表示

小さな頃から

最近パクリ疑惑が出たジュディマリだが、『小さな頃から』をうろ覚えで何となく歌詞を呟いていたら「もう一軒いいかな」というフレーズが違和感なく出てきて、果たしてそんな歌詞はなかったハズ。


5月5日(火)12:27 | トラックバック(0) | コメント(0) | 携帯から | 管理

決まり事の陳腐化

恐ろしく読み応えのある素晴らしいページを発見してしまい、結構ご満悦。


まぁ、当然フリーメイソンリーが出てきて世界を陥れようとするのですが、その中で、「去勢された神」「魂の去勢」と「フリギア帽」と「プロビデンスの目」について触れている部分を読んでいた時に、日本の選挙の投票率が低い原因が何となく分かった。

この、日本全体が悩んでいる政治離れの原因or結果を、陰謀論扱いされるような話を読んでいる時に何となくわかってしまったのである。天才ではなかろうか。


選挙というのは、(公平かどうかは置いといて、)民主主義という考えに基づく政治の制度であると同時に、一種儀式的な意味合いがあるのでは無いか。
儀式という大仰な言葉を使わずとも、何か、心理的に引っかかるものを感じる、と言ったほうがしっくり来る。
「我々が何かを選ぶ」という意味付け&権威付けをされた概念が、日本とか県とか市とか町とか村とかの単位で一斉に実行される。
宇宙人が見たら「意志決定者を選別する為の謎の理論により、ある一定の期間同じ行動をとる」とか思わないだろうか。

なぜ儀式的な感じを持つのか?
それは選挙制度が日本にとっては与えられた民主主義に起因するものであり、その本義が実態や伝聞で持ってリアルな形で理解できないからである。要は、日本における民主主義の歴史が「与えられた立派なもの」という起源を持っているからではないだろうか。

なんというか、今まで棒きれや石で戦っていた原始人に「これが一番いいからw」と近代兵器を渡されてもウホウホと理解できないじゃない?
例えば、銃マニアの人が持つワルサーP38と、ルパン大好きアホ外国人がギャグで持つワルサーP38は価値が違うじゃない?

要は、日本人は選挙に対して思い入れがない(人が多い)という事である。

面白い話があって、昔クソ親父にもらった
冒険手帳
という本があって、その中にアフリカか何処かの部族にシェーバーやライターをプレゼントしたら、最初は物珍しがって持て囃されるが、スグにそれらは打ち捨てられ、みんな前から使っていた鋭利な石斧でヒゲを切ったり、木の摩擦で火を起こすのに戻ったという。自分たちで再現できない、メンテナンスできないからである。簡単&便利という実利があっても、原理や歴史がわからないものは、それ故に結局は打ち捨てられる。
原理も成立過程もわからないものには人間は執着がない。

代替案とか混乱とか面倒臭いことは抜きにしたら、選挙廃止でも何ら心の痛痒や罪悪感とかも感じないの。(近所の神社の宵宮が縮小傾向で、夜店も少なくなった、と聞いた時の寂しの方が全然上である。)

まぁ、でもさ、思い入れなんかなくてもさ、それが制度、システムとしてあるならどうやっても残るじゃん?それで良くね?
という事で、選挙が法律によって儀式化してしまう。


儀式が廃れる、意味を失うのはどのような時か?
儀式の実利がない、歴史(思い入れ)がない、何処かからもっと素晴らしい儀式が伝わった、素晴らしいやり方が生み出された、という理由が浮かぶ。が、まぁクソみたいな政治家が多くて選挙の実利がわかんない&思い入れ無い、が相関関係になって起こってるのが今の状況ではなかろうか?(実利がないと「役立たずはどうでもいいじゃん」になって捨てられる。)





要はさ、何かを他人に教える時は、その歴史や原理を、その物事の魂的なヴァイブレーションを伝えないとダメなんじゃないだろうか。

なまじ結果だけを教えるような教育は、その教えられた側にも有害じゃなかろうか。
自分自身の考えや判断などがなく、正しいとされる結果だけを根拠に、教えられた通りに動く、というのは実はかなり怖いことなのではないだろうか?


話を戻すと、ワシの選挙に対する儀式的なイメージは後付けさたものであろう、と云うことに。
儀式っぽい、という結果だけをイメージとして持っていて、時間の経過と共にそのイメージの成立の過程が失われ、そのイメージだけを持って選挙という言葉を聞いた時に「一斉に同じ概念を実行する日だから」みたいな理由を後付けして「選挙は儀式っぽい」みたいな感じになっちゃったのかしら?
いや、そもそも「選挙は儀式っぽい」などという事をワシは前に考えていたのだろうか?今となってはそれも記憶の彼方である。
只の思いつきの牽強付会をするために瞬時に思いついたどうもいい嘘の過程を語りながら話を作ったのではないか。それを最後まで書く方も読む方も、なんて時間の無駄。


なんでそんな考えを冒頭のページを読んでいた時に思いついたかというと、それはフリーメーソンやその他の陰謀組織がやる見立て(9.11の2本並ぶワールドトレードセンタービルが「ヤキンとボアズの柱」である、とか11が特別な意味がある、みたいな奴)とかって、アホにはわからないように結果(意味の提示、成立の過程の提示、何かの再現であることの提示)だけが抽象化されて示されるんだなぁ、と思ったから。

結果だけが提示される。→みんな盲目的に従わされる。→誰かの利益になる→最終的には、結果を提示する奴と、提示させてる奴が得をする。

というカラクリが日本の形だけの民主主義に似ているなぁ、と脳内に浮かんできたのです。

形だけだよな、議員見ても「こいつは間違いなく俺達の代表」と思わないもんな。



5月5日(火)02:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | 無題 | 管理


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