('A`)無気力人間T氏のさわやか日記
 
~大学は卒業したどこかに就職した~生きるのめんどくさい~
 


2013年2月15日を表示

なんとなく生きてる気がする



朱家(しゅか)が慕われるのはわかるが、郭解(かくかい)が任侠の徒として持て囃されるのは理解出来ない。郭解を討って、後に武帝の丞相となった公孫弘(こうそんこう)も何が偉くて賢人扱いされたのかよくわからない。信長の野望に比べて三国志は頻繁に引き抜きや裏切りがあって、子供ながらに中国人やべぇな・・・と皆さんも思った事があると思いますが、ワシにはもう中国人の人間性が理解できないよ・・・
クーロン黒沢の本に中国で尊敬される人の例として、町でちょっと揉めたチンピラの首を華麗に刎ねて「飯でも食いにいくか」と子分に奢るような奴が大人物とされる、みたいな事が書いてあって、当時はホントかよ・・・と思ったが、郭解のwikipediaを読んでると信憑性が出てくる気がする。
しかしながら、古代中国で法が統一されていない、または法律が及ばない地域が非常に多かったなかで困った人を助けた人が任侠や義侠だとか言われていた事を考えると、今の日本の法体系や市民感覚なんかはクソの役にもたたないだろうし、そういう公的な規律の影響が低いなかでは、今の日本人からは受け入れがたい、生まれ育った環境によるナチュラルな人間の欲や思考や嗜好や残虐性や倫理観が当然のように存在し、それに基づいた言行や名声が今に伝えられていると考えると、別に理解できなくて当然であるようにも思う。だから例えば、日本の地方に伝わる
習慣の陰部として「おっとい嫁じょ」という婚姻様式があるが(平たく言うと強姦すると結婚できるのである。親家族や地域がソレを容認していた。)、その我々の感覚からは容認しがたい「おっとい嫁じょ」の文化の中でも、その地域の英雄みたいな奴は絶対居たと思うんだよ。「こうすれば女は抵抗しなくなるぜ、げへへへへ」みたいな、現代だとクズ扱いというか、強姦指南役みたいなオッサンとか。

今日目にしたニュースで「医学の終わり」みたいな話題があった。要は抗生剤とかで病気を押さえ込んでも必ず抗耐性ウイルスみたいなのが出てきて、結局は産褥とか新ウイルスの対策が出来なくなって人類の病死はとまらねーぜ、みたいな話だったのですが、なんか抗生物質とウイルスって、法律と人間みたいだな、と少し思ったのでした。



という文章を会社で暇で暇で仕方ない時にパソコンで仕事のメールしてるふりして書いたのだが、今読むと何故、抗生物質&ウイルスと法律&人間みたいに思ったのか良くわからない。
ワシはあんまり論理的に生きていないのだと思う。その時に何となく感じた方にフラフラ生きている気がする。




追記2013/04/17
わかった。
人間=ウイルス、法=抗生物質と捉えたのだった。要は「人間性を規則で押さえ込んでも無駄だよ」という事だった気がする。卒論の結論から一ミリもズレていない。ズレてなどいない。ズルり。



2月15日(金)21:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | 携帯から | 管理


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