ヨクワカラナイ |
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| そういえば、先週の土曜深夜にハーバード白熱教室を見たのだが、その事を書くのを忘れていた。忘れていたと言うか、書こうと思う気力が無かった。今お風呂でジャバしてきて少しテンションが上がっているので。
で、カント先生の(ちなみに女性器の事もカントというらしい。で、英語では「マンコ先生が」「マンコ先生の言うところでは」というのが恥ずかしくてキャントと発音するらしい、というのはケロQのデビュー作、『終ノ空』豆知識でした。)考えでは「義務、自律、定言命法」の三位一体の時に初めて自由な行為といえるらしい。(義務⇔傾向性、自律⇔他律、定言命法⇔仮言命法。)
僕には「義務」がよくわからないよ。
カントを含めたニーチェ以前の西洋の哲学者や思想家(古代ギリシャとかキリスト教以前を除く)が「道徳」というとき、ワシはどうしても(ハイハイ、キリスト教の道徳ね)と思ってしまい、もうウンザリになるのです。
それと、前の回で学生とサンデル教授のやり取りを見ていて、どうしてこうもアメリカ人は民主主義を絶対視するんだろう、と思った。(サンデル教授が「じゃ、キミは民主主義を否定するのかい?」と聞いたとき、誰も反対しなかった。) なんというか、巧く言えないが、例えば独裁制とかを倒した国民が手に入れた民主主義は(その熱の余韻が残ってるウチは)それはそれは価値のあるモノだろうと思う。 しかし、それまでのその国の成り立ちや状況を無視してアメリカ軍や国連から与えられた民主主義や、もうずっと「それが当然のことなんだよ」と教えられて、大した主張もないのに、お金のある人や代々政治家みたいな人しか選挙で当選出来ない国において、民主主義ってそんなに大事か?や、というか、それって最早民主主義じゃなくて、ただ民主主義っぽいルールで動いてる別の政治体制なんじゃないの? と思った。 思っただけなので、例によって証拠とか緻密な論証とか一切ありませんが。 あ、これは議会制民主主義か。
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5月19日(水)21:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | 無題 | 管理
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