('A`)無気力人間T氏のさわやか日記
 
~大学は卒業したどこかに就職した~生きるのめんどくさい~
 


2009年8月16日を表示

うーむ

改めて考えてみたが、担任の先生の話もY方君の話も、ワシのネガティブ思考をクリティカルに捕らえたものではなかった気がする。

以前、島崎藤村だか石川啄木だかの従兄弟が「どうにも寂しくて死ぬ」という遺書を残して死んだ、という話を確かおもいっきりテレビの「今日は何の日」だかで見て知った。その時はまだ中学だか高校で、いじめの問題が社会問題になって(といっても何年かごとにサイクルで話題になるけどね)いて、それと絡めて、(死ぬくらいななら死ぬ気になってなんでもやりゃいいじゃん)位に思っていたのだが、その後に(あぁ、どう頑張ったらいいかわからない失望や絶望もあるのだ。それでだんだん気力が奪われていくのだ…)というのがわかり、さらにネクラ傾向が強まったのだが、先日ワシがされた話はそんな感じだった。なにかこう、借金を返さないといけないとか、子供を育てないといけないとか、切実な問題が目の前にあるのなら色々悩んでも「とりあえずソレを片付けねば!」という強いモチベーションの原動力になると思うが、ワシにはそーゆーのが何も無い。

食べるのに困っているか?→NO
住む所は?→No
借金とか?→No
家族を養う?→No
何か夢が?→No
何のために働いてるの?→特に目的が無くても最低限生活するのに必要なお金の為と、世間一般では働いてないと異常な扱いされるから。

おそらく、そーゆー目標は「自分で見つけなさい」と言われるのだろうが、ワシは自分のことを殆ど無価値だと持っているので、何かを始めようとする時に必要な、自己肯定感とかある種の自信(慢心でもいいが)が全く無い。
さらに困ったことに人から「すごい」とか「出来る」と言われても全く信頼する気にならない。何故ならその人よりも自分のほうが自分自身について良く知ってる、と思っているから。(常々疑問なのだが、どうして人事部の人とかは数回会ったりしただけで「その人のことがわかる」と自信たっぷりにいえるんだろうか?…「会社にとって必要な部分だけ」の能力がわかる、という事なんだろうか?)

但し、ワシはこのネガティブ思考を身に着けてしまった事は重荷ではあるが、それでよかったのだ、とも思っている。正確に言えば、ただその事だけを考えられる余裕のある時に考えることが出来た事が幸運だったと思う。もしも、日々なにがしかの悩みを抱えながらも(一般的に)健全な生活を送っていく中で、何か日常をぶっ壊すような事があり、その衝撃と共に「別に人生に絶対的に意味なんか無い」とか「いつか必ず人は死ぬ」とか「自分には絶対的な価値なんか無い(だから自分で作るとか認めるとかしないといけない)」とかに気づいてしまったらきっと死んでしまうだろうから。
だから、多分これでいいのだ、と思う。

後、働きだしてからの悩みも、ニートでライスをプレスしていた時の悩みも、(安易に比べることは出来ないけども)程度で言えば、大して差が無いように思う。
簡単に言えば、王様の悩みは高尚で、乞食の悩みは取るに足りない、と思うのは間違いである、と今は感じている。
正直に言えば、小学校のときの「学校行きたくない」も、今の「会社行きたくない」も大して違いないように思う。社会というのは壮大なごっこ遊びかもしれない、と感じることが最近多い。

なにかワシはとんでもない間違った認識を持っているのだろうか。



8月16日(日)22:06 | トラックバック(0) | コメント(4) | 無題 | 管理


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