すべてがあると考えることも出来る。 |
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| ※ワシは「意味」と「価値」を意識せずに、特に区別しないで使っています。 前の前に「全ての事、物事 にはそのものとして価値がない」とかいて、前に「そのものとして価値があるとか無いとか、そんなことはわからない。」と書いた。
その結論は今でも変わっていない。(まぁ、生きていくうちにハッと何かに気づいたり、経験したりするうちにまた違う考えになるかもしれない。) で、今の段階で昔の「価値が無い」論を考え直すと、片手落ちだった気がする。 で、その落ちちゃった部分、もう一方の片手は「全ての事、物事は全ての価値を持っている」という事になるのではないかと。(「全ての価値」というのは、例えば猫を見て「かわいい」と思う人も「汚い」と思う人もいる。だからその場合、猫は「きれい」という価値も「汚い」という価値も、そのものとして同時に持っている、ということです。その同時に持っている価値が無数にある。)
説明しますと、何か物や物事があったとして、その受け取り方は人それぞれ違う。 その場合に素直に「わからない」と結論を出さない場合、つまり、そのものとして「価値がある」「価値が無い」という考え方しか無かったときに、 ・「みんな受け取り方が違う」→「だから、その価値はみんなが受け取ったときに発生するもので、(個人の視点を離れて)そのものには価値が無い」 ・「みんな受け取り方が違う」→「ということは、個人個人が、(個人の視点を離れて)そのものとして全ての価値を持っている事や物事の『一部だけ』を認識している」 という二通りの事が言えるのではないかと。
ワシがネガティブ野郎だから、前は前者の方しか思いつかなかったのかなぁ・・・。 ま、どちらも本当は分からないものを「ある」とか「無い」とか決め付けてる時点でニヒリズムには違いないのですが。
という記事を30日に考えていたのですが、ぶっとびねっとのサーバがずっと死んでいてアクセスできなかったので、今日書いた。
31日大晦日は親族が集まるのですが、親父に会うのが苦痛なので昼に逃げて、夜まで映画三昧にすることにしました。見るのは『K-20怪盗二十面相』と『ミラーズ』に二本。当然ラーメンも食べる。 前日にI股君にメールしたら「さすがに大晦日はないわ」ということだったので、一人で決行する予定だったが、ワーナーマイカルの駐車場に車を止めたらI股君からメール来て、「合流しますぜ」と。・・・別にそんなに気を使わなくてもいいのに、と思ったが、ま、来てくれる事に反対する理由も無いので、二十面相鑑賞後に合流することになった。 で、ワーナーに入ったのだが、なんだか見覚えのある人が奥さんを連れていた。(声を聞いたので間違いない。僕は顔と名前が一致しないことには自信があるが、声を聞き分けることにも自信がある。) でも、奥さんには面識ないし、別に話すこともないし、話したとしても軽く挨拶だけになる(上映時間が迫っていたので)ので、スルーした。すまぬ。
で、二十面相ですが、すげぇ面白い。なんかこう、ほのぼのしてニコニコしてしまう所が沢山あった。前にオーケンが明智の嫁が二十面相にさらわれて、二週面相を愛してしまうしまう小説を書いていて面白かったが、この映画もそのくらい自由に設定をいじってる。以下ネタバレあり。見始めて30分くらいで「こいつらイケすかねぇな!」と思った奴がやっぱり黒幕だった。最初、普通、明智は「いい奴側」の人間なので、その役に反感を抱かせる中村トオルにたいして(大根だなぁ)と思っていたが、ちゃんと理由があった。中村トオルの明智に輪をかけて邪悪な笑い、言動をする小林少年。マジでいけスカネェ。それに引き換え金城武のカッコ良さ、松たか子のさわやか振り、泥棒長屋のアットホーム振り、浮浪児の可哀想さに涙が出そうになったり、そのへんが良いです。 あんまり期待してなかった映画ですが、見て損は無いと思います。 で、その後にI股君と合流してラーメン屋を目指したのですが、虎の家も麺屋みつるもやってない。大晦日だから当然か。ラーメン大地はやっていたのでそこで。大地にはワシらのようにアブレタ男どもが沢山。というか、それしかいない。密かに心の中で(同士よ)と思う。 『ミラーズ』は・・・んー・・・なかなか見せるところは歩けども・・・つまらなくは無いけども・・・二十面沿う見に行ったほうが幸せになれます。ラストにあるクリーチャーと戦うのですが、ぜひとも漫☆画太郎先生に完全漫画化してもらったらワシ100冊買って弘前駅で配ってもいい、と思った。
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1月1日(木)01:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | 無題 | 管理
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