続き |
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| 世界の何処の誰にも「そのものとしての価値」を正確に話す事は出来ない。つまり、普遍的なものとして、価値があるとか価値が無いとか決める事すら出来ない。(や、個人が勝手に決める事は出来ますよ。) あると言う事も、無いと言う事も、我々が抱える「何が自分の価値観以外に指針が欲しいぜ」病の産物なのかも知れない。(今は「自分の」というのが本当に自分のなのかは置いといて) あ~、ん~…もう少し時間が立てば違う視点から考えられるような気がする。何か思い付いたらまた。
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12月9日(火)01:39 | トラックバック(0) | コメント(0) | 携帯から | 管理
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いよいよわからない |
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| 今寝る前にフッと気が付いたのだが、何故ワシは「物や物事には、そのものとして価値がない」などと思ったのだろうか。ワシはワシの価値観(物の見方)からは逃れられないとすれば、如何にワシが公平性や中立性、ニュートラルな立場をとろうとしても認識の際の(自分的)自動補正から独立ではいられないのではないか?「価値がない論」は只単に何かの皮を被せたワシの価値観表明だったのではないか。 人間が各々自分の価値観から離れて(神の視点のように)中立的に物や物事を見る事が出来ないとすれば
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12月9日(火)01:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 携帯から | 管理
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