朝青龍を見て陸軍中野学校を思い出した事を思い出した |
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| 朝青龍が時間一杯になると独特の動作でマワシを叩いて(僕が対戦相手だったらもうこの時点で勝てる気がしない)、タオルを受け取って顔を拭くが、この拭き方がタオル固定で顔を動かすような拭き方である。戦前だか戦中だかに中国やモンゴルにまで行ってた陸軍中野学校のスパイの方々は、話し方とかは完璧だったのに顔を洗うときにタオルを動かして洗ってしまったためにスパイだとバレてしまった、というのを取り組みを見ながら思い出した事を今思い出した。
昔は高見盛をいじめるような朝青龍がキライだったが、「このキムチ野郎事件※」以後、「やっぱり横綱は強くなくちゃイカンし、ヒールとして朝青龍は優秀だ」とも思い始め、今では結構スキです。
※ 韓国人記者「日本での差別はひどかったでしょう?」 朝青龍「いや、別になかったっス」 韓国人記者「隠さなくてもいいですよ。どんな差別にあいましたか?」 朝青龍「いや、だから特になかったっス」 韓国人記者「"特に"ってことは、やっぱりあったんじゃないですか?! どんな差別でした!?」 朝青龍「だから、無えって言ってんだろ!このキムチ野郎!!」
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10月12日(水)05:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | 無題 | 管理
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とりかかったものの・・・ |
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| 手をつけてみたものの、夏休みの合宿のレジュメがまず理解できない。なに書いてんのオレ?重症です。考える力がなくなっとるとです。頭は既に「逆転裁判4」に冥ちゃんはでるのかなぁデヘヘヘヘ・・・とか考えています。・・・・・・・先生に謝って俺の発表中止してもらおうかなぁという逃げの考えが浮かびがちですが、どうしたものか。
追記:がんばってやってみたが、詰まった・・・漠然とつまったんでなくて、福沢の智と徳の関係による文明の進歩の中で個人性というか、個人の持ってるメンタリティとかはどのように位置づけされるんだろうか、というのを考えるときにどうすりゃいいのか・・・丸山マサオの著作から見るに、福沢の歴史観はそれまでの英雄史観や興亡史観から離れるために西洋のギゾーとかバックルとかの歴史観を換骨奪胎して、「統計」とか使って書いてるから、その、「個人」の部分が抜けてくるのは当然のように思える。もしも僕が福沢の「文明論の概略」に批判的な事を書くとすれば、
1.「福沢の換骨奪胎の仕方」で書く 2.福沢を含めたバックルやギゾーの説について書く(彼らに批判されている歴史観側に立って) 3.それらのいずれでもない立場「ただの批判者」として書く 4.新たな歴史観を提示する
というような書き方が考えられる。 ま、4は100%無理なので、ズルっこして3で書けば・・・・・・先生に叱られそう。3はずるいよなぁ。 どうしよう・・・思えば、結局マクロで見るかミクロで見るかだと思うんだよ。ま、頭にいい人から言わせれば「何言ってんだコイツ( ´,_ゝ`)プッ」と思われるだろうけど。んで、その両方の問題点と思われることを現実と突き合わせて考えて書いて・・・無理ッス。もっとありていに言ってしまえば、歴史を述べる、文明の進歩について語るような「人文」の領域に統計のような「サイエンス」を引っ張り込んでアレコレ言うのは馴染まないのではなかろうか、と。・・・もしかして福沢はいままで「人文」領域で語られてきた歴史を、サイエンスの分野でやってみようと試みた初めての日本人だったんだろうか。
や、もうこの文章自体何を書いてるんだろう・・・ 忘れて無かった事にしてください・・・
旅に出ようか・・・所持金3千円しかないけど。
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10月12日(水)01:26 | トラックバック(0) | コメント(0) | 無題 | 管理
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